top of page

【3月2日】文化と地域デザイン講座を開催しました。【参加報告】

 3月2日、第10回文化と地域デザイン講座を開催いたしました。前回に引き続き、研究所スタッフ・関谷が参加報告をお届けします。


 今回の講座は、齊藤洋一さん(松戸市戸定歴史館名誉館長)をお招きして、「明治期・徳川慶喜研究の第一人者をお招きして 「徳川家と珈琲」 の話を楽しむ!「味覚・NHK 大河ドラマ・ミュージアムの連携 -慶応 3 年のパリ万博をめぐって-」」を演題にご報告いただきました。


 戸定(とじょう)歴史館は徳川慶喜・昭武兄弟の遺品と関係資料を展示する登録博物館で、明治期に照武が居住した戸定邸の敷地のなかに位置しています。齊藤さんは1990年から松戸市・戸定歴史館の運営に携わり、現在も名誉館長として運営を支えられています。


 講座報告では、前半に徳川昭武と「青天を衝け」、後半にミュージアムの運営や活用についてお話がありました。また、研究所・松本茂章とのリプライや参加者との質疑応答では、ここだけの大河ドラマ考証の話題や、市民と文化財、自治体と博物館機能などの論点が飛び出し、盛況な講座となりました。



報告の様子(スクリーン左が齊藤さん)


徳川昭武と戸定邸――


 水戸藩・徳川斉昭の18男として生まれた徳川昭武は、1867年、将軍・慶喜の代理の使節として渡仏し、留学生活を送ります。パリ万博にも出席した昭武一行の中には、渋沢栄一も含まれていました。齊藤さんは、慶喜が渋沢をフランスに派遣した背景に、渋沢が持つ問題解決の技量への信頼があったのではないか、とお話しされていました。


 帰国後に水戸徳川家を相続した昭武は、1883年に隠居し、翌年松戸の戸定邸に居を移します。この間、旧水戸藩の大能牧場の復旧にも取り組みました。齊藤さんは戸定邸の魅力が、城屋敷のような権威のある建築ではなく、控えめなところにあると言います。その後、戸定邸には慶喜がたびたび訪れることになりました。


ミュージアムの活用――


 こうした歴史を持つ戸定邸には、昭武・慶喜の遺品が残されました。これらの資料を基に研究・展示の場として戸定歴史館が運営されています。このパートでは、立ち上げから歴史館に携わり、多角的な活用方法を模索してきた公務員・学芸員の視点から、ミュージアムの活用についてお話がありました。キーワードは「博物館が構築できる関係性は限定的、もっと広く」と「人とミュージアムの結びつきをつくる」です。


 1991年の開館当時、戸定邸・戸定歴史館は、①昭武=無名の人物、②邸宅と庭園に訪れる人がいない、③小規模ミュージアムを誰も知らない、という三つの課題を抱えていました。これらの課題を解決するためにはじめに取り組んだのが、昭武と慶喜の関係の基礎研究でした。その成果は、特色ある取り組みを行うための基盤になっています。


 つぎに取り組んだのが、市民との協働でした。市民による「松戸シティガイド」は、戸定邸・戸定歴史館を拠点に、地元の松戸市と文化財をつなぐ役割を担っています。


 そして現在進んでいるのが活用の多角化です。文化財の持つ特性を活かし、さまざまなアクターとの協働が試みられています。座敷を使ったコンサートでは、和式邸宅の木質の響きが好評を得ているそうです。また、戸定邸が会場となる芸術祭「科学と芸術の丘」では、隣接する千葉大学キャンパスと共有する自然の豊かさが、会場としての価値を高めているほか、園芸学部との協働の呼び水にもなりました。


☛科学と芸術の丘(2023年度)


徳川家と味覚、珈琲――


 演題にもある通り、味覚を通した体験も大きな軸の一つです。徳川昭武は洋行に際して、しばしばコーヒーを飲んだことを日記に記していました(フランス語綴りで「カフェ」)。ここから着想を得て、株式会社サザコーヒーが商品開発を担い、戸定歴史館が考証を行ったものが「プリンス徳川カフェ」です。そのねらいは歴史を味覚で感じること。味覚で感動し、驚き、納得する体験が、歴史に触れる新たな切り口になることにつながります。


 そのほかにも戸定邸では、徳川慶喜が四か国の公使を大坂城に招き、フランス料理をふるまったという史実に着想を得た「将軍フレンチ」が開催されたこともあります。味覚を通した関係性の構築は、戸定邸に訪れる人を増やすだけでなく、企業や商店、地域とのつながりも育んでいます。


 講座では、もう一つのコラボコーヒー「将軍珈琲」が参加者に振る舞われました。モカを使った深煎りにたっぷりのミルク、慶喜・昭武も楽しんだ味は、カフェオレですっきりとした味わいで、とても飲みやすかったです。


☛SAZA COFFEE 将軍珈琲




会場での試飲の様子(上)とドリップを実演する齊藤さん(下)


 リプライ・質疑応答では、今回も会場全体で議論が交わされました。


 最初の話題は、「青天を衝け」の時代考証について。なかなかオフレコのお話が満載でしたが、脚本スタッフとはどのくらい顔を合わせるのか?時代考証は役柄のセリフにかかわることはあるのか?歴史館の仕事との両立は?などなど、参加者のみなさんは興味津々に聞き入っていました。なにより、昭武を演じた(今をときめく)俳優・板垣李光人さんの話題が印象的でした。


☛itagakirihito_official の投稿(2021/07/06)


 つぎの話題は、ミュージアムの発信について。新聞記者だった松本からは新聞広報について質問があがります。斎藤さんいわく、松戸は東京に近くて遠く、新聞の県版では江戸川を越えられないという壁があるとのこと。全国紙やマスコミにどのようにアプローチするかが課題であり、報告本編でも紹介された「五感に訴える」イベントを企画していくことが大切だと言います。また、最近ではSNSに力を入れているとのお話もありました。


 このほかにも、文化財職・観光NPOの皆さんなど、さまざまな参加者からコメントが相次ぎました。


~~~~~


 今回の講座では、戸定邸・戸定歴史館の事例報告をもとに、ミュージアムの活用、ミュージアム体験、地域とのかかわりなど、さまざまな観点から議論が深まりました。


 感想を自分なりに三つに分けて書いてみようと思います。一つ目は、ミュージアムと基礎研究についてです。報告のなかで紹介された味覚体験、コーヒーとフレンチの事例では、昭武や慶喜が舌鼓を打った味を、一次史料を丹念に調査することで再現していました。博物館の企画力は基礎研究に裏打ちされているといっても過言とはいえないでしょう。


 基礎研究に関連していえば、史実と歴史像の関係があります。これが二つ目です。大河ドラマの放送が進むと、「これは史実なのか」という議論が必ず行われます。実証性とエンタメ性、どちらを優先するべきかという問いかけです。けれど個人的には、歴史がいちばん力を発揮するのは、過去を想像したり、自分に引き付けて考えるときだと思います。文化財の活用も同じです。過去の用法を守るだけでなく、新しい用法をさぐる、けれども昔からあるものを根っこから無視することはしない。そういうバランスが大切なのでしょう。


 三つ目は、ミュージアムと地域のかかわりについてです。たくさんの活用事例を通してみると、戸定邸は地元の松戸市に深く根差したミュージアムといえそうです。シティガイド、地元の店舗、大学、などなど。それだけでなく、文化財として位置づけられる以前の公民館としての40年間の歴史を持つことによるつながり。そうしたつながりの出発点こそ、齊藤さんやミュージアムの側からの働きかけが大きいですが、芸術祭や音楽活動のように、アクターの側からの戸定邸の捉え返しも起こる場として戸定邸は価値を高めていると思います。


~~~~~


 戸定邸の実践報告からは、慶喜・昭武兄弟の基礎研究から出発した活動が、アクターとの関係構築を経て、ミュージアムとかかわる人と窓口を徐々に増やしていくプロセスを知ることができました。その中で、地元・松戸市に根差した結びつきが、思わぬミュージアムの活用を呼び込むことになった様子も明らかになりました。こうした流れは「文化と地域デザイン」の濃密な事例といえそうです。


 齊藤さん、貴重なご報告ありがとうございました!



文責:関谷洸太(大阪市立大学・文学部4年生)



☛松本茂章『地域創生は文化の現場から始まる』(学芸出版社、2024年)では戸定邸の実践を紹介しています。

 合わせてご覧ください。

bottom of page