top of page

【第13回文化と地域デザイン講座(兼・文化と地域デザイン学会例会)】346年の歴史を有する田辺三菱製薬の史料館と「くすりのまち」道修町の歩み」 -企業ミュージアムの運営・企業メセナ活動の現状をめぐって-

2024年11月8日(金)に第13回文化と地域デザイン講座(兼文化と地域デザイン学会例会)を開催いたします。

今回のゲストは、田辺三菱製薬史料館館長であり、同社の企業メセナ全般を担当されている泉川達也さん(田辺三菱製薬ファーマ戦略本部PR部長)研究開発型の製薬企業としては日本最古の同社が有する史料館と、現在も多くの製薬会社の本支店が軒を連ねる「くすりのまち」の歩みについて伺います。



【日時】

2024年11月8日(金)

午後6時30分~午後8時30分

(終了後、1時間程度の交流会を予定しています。差し入れ大歓迎!)

【会場】

アカデミックスペース「本のある工場」

(大阪市此花区西九条5-3-10)

(JR大阪環状線・阪神なんば線 西九条駅下車。徒歩7-8分)

(階段で2階の会場に上がります。エレベーターはありません)

【申し込み】

定員20人。先着順にて受け付けます。

申込はこちら



大阪・道修町(どしょうまち)の老舗・田辺三菱製薬は、江戸時代の1678(延宝6)年に、初代田邊屋五兵衞が創業しました。研究開発型の製薬企業としては日本最古です。当初は、合薬(あいぐすり)の製造販売を家業として大阪・土佐堀に独立開業しました。初代が売り出した「たなべや薬」は生薬を配合した薬。打撲や切り傷、産前産後に良いとされ、よく売れました。

同社によると、関ケ原の戦いで敗れた島津家の軍勢が薩摩に戻る際、堺の田邊屋(今井道与)が船を出し、助けたことの恩賞で、島津家から領地と秘伝薬の製法を与えられたと伝わっています。田邊屋五兵衞は今井道与の末裔または親戚筋であると考えられるそうです。そして6代目田邊五兵衞は、1791年に薬種商として道修町に進出。幕末を経て、明治維新を迎えると、12代田邊五兵衞は「これからの時代は洋薬や!」と決意。ドイツの医薬品の独占販売権を獲得するなどして近代化を図り、荒波を乗り越えました。


大阪・北船場に位置する道修町(東西の通り)になぜ製薬会社が集まったのか? 

話は江戸時代にさかのぼります。江戸時代の「大坂」は「天下の台所」とされ、8代将軍・徳川吉宗が米や薬を大阪に集めました。1722(享保7)年、道修町の「薬種中買株仲間」(同業組合のこと)124軒を公認して長崎に輸入された唐薬種を道修町に集めるようになりました。和薬種も同時に道修町に集まってきました。株仲間は自らで薬の検査を行い、全国に供給しました。現在の厚生労働省の機能を大阪の株仲間が果たしていたのです。明治維新後も協働して洋薬開発に励み、大阪薬品試験会社を設立し近代化を図るなど、共存共栄の精神がありました。

道修町には「くすりの神様」で知られる少彦名(すくなひこな)神社があります。氏子は医薬品関連企業が中心。例大祭は毎年11月22日-23日。製薬各社のキャラクターが大集合します。



詳細は下記資料をご覧ください(Word・PDFどちらも内容は同じです)。









Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page